野口修プロフィール
1955年(昭和30年)茨城県つくば市(旧桜村下広岡)に生まれる。 79年、つくば市に フリースペース・アクアクを設立し、 92年、文化活動・市民運動の延長として政治を志し、つくば新党結成。 96年つくば市議2期目当選。 現在、「市民オンブズマンいばらき」代表幹事。「霞ヶ浦導水を考える県民会議」運営員。「開かれた議会をめざす会」役員。「虹と緑500人リスト運動」会員。 具体的に政治を用い、社会参加を企てることが、今のところ新たな知・文化を創造することと考えている。 |
1979年 | |
1982年より毎年 |
まつりつくばの実行委員。ステージ広場責任者としてコンサート 演劇・ディスコなどを企画する。 |
1983年 | つくば演劇フェスティバル主催。以後、87年まで5回開催。 |
1985年 | 山海塾(舞踏グループ)のノバホール公演(金柑少年)を主催。山下洋輔スウィングジャズオーケストラ・ノバホール公演を主催。 |
1986年 | 万博とアート連続シンポジウム(5回)開催。ゲストに吉本隆明、 粟津潔、山口勝弘らを迎える。 |
1986‾89年 | ACCS(ケーブルTV)の番組制作に参加。主に周辺部の出来事や人物紹介と中心部の都市の移り変わりを実験的に映像にした「おでかけU-SENテレビ」を制作。90作品制作。特別番組として四町村の合併説明会を放映する。 |
1988年 | 詩人・谷川俊太郎を招き、「現代詩講座」をつくばエキスポセンターで開催。 |
1989年 | 研究学園都市25周年記念イベント山下洋輔vs林英哲コンサートを企画。(つくばノバホール) |
1990年 | 域の若者文化の活性化をはかる「アマチュアバンドいっさいがっさい」を企画。 50バ ンドが参加する。 つくばフェスティバルに参加し、ビル、レーザー光線、照明、音楽 を使 った野外イベントを企画。 シンポジウム“都市への準備”を企画。セゾンTVの制作でACCS で放映される。(4回) |
1992年 | 国際的な活躍で知られるダンサー・イズマエル・イヴォとピアニスト加古隆のコラボレー ション公演実行委員として参加(つくばノバホール) 文化活動・市民運動の延長として政治を志し、つくば新 党結成。つくば市議に当選。 |
1993年 | 「まつりつくば」にて異色バンド「たま」コンサート企画。 アフリカンダンス「サヴォセとその仲間たち(タンザニアから来日)」(つくばノバホール) |
1994年 | ジャズピアニスト 大西順子コンサート(つくばノバホール) |
1995年 | スウェーデンの知的障害者バンド「エコー」のつくば公演企画に参加。 世界湖沼会議・ 市民の会設立に参加。ピアニスト/作曲家・加古隆 にテーマ曲 の作曲を依頼。つくばノバホールにて披露コンサート企画・実現。 |
1996年 | 南アフリカの反アパルトヘイト音楽劇「アシナマリ」をつくばノバホールで上演。 つくばカピオホールのオープニングとして、加古隆、山下洋輔コンサートを企画。 リトアニア共和国で行われた国際知的障害者演劇祭に、日本代表として市内 の福祉団体 「自然生クラブ」の参加を企画・実現する。つくば演劇フェスティバル・プレ96、事務局 を担当する。 つくば市議(2期目)に当選。 |
1997年 | 谷川俊太郎の詩の朗読と音楽を交えた音楽会を企画。(つくばカピオホール) |
1998年 | ![]() トゥバ共和国の伝統音楽グループ『フーン・フール・トゥ/つくば公演』をつくばカピオホール にて上演。 加古隆(ピアノ)+オレグ・リアベツ(メール・ソプラノ)コンサート つくばノバホール |
1999年 | 詩の朗読イヴェント「詩のボクシング/茨城県大会」をつくばカピオホールで行う。 茨城県芸術祭・演劇部門シンポジウムのコーディネーターをつとめる (つくばカピオホール)。 第5回うしく現代美術公開シンポジウム (牛久市) のパネリストとして参加。 |
2000年 | 8月 常陽新聞主宰「つくば提言大賞」に「環境優先都市の創造/ドイツ・フライブルグ市とつくば市の比較から」寡作入選 11月 つくば市議3期目当選 12月 主宰してきたフリースペース「AKUAKU」を予定通りクローズする。 |
2001年 | ![]() 5月 市民オンブズマンいばらき総会にて代表幹事就任。 7月 霞ヶ浦導水事業の中止を求めて、茨城県を相手に訴訟を起こす。 |