自衛隊は名誉ある撤退を、一刻も早く実行すべきである。2004/4/10
9・11から半年、戦火は続く。2002/3

報復は何も生まない。悲しみがつのるだけだ。2001/9/26

小泉政権への期待はない。期待は80%以上の支持層にある。2001/5/16
「神の国」発言は、なぜ波紋を呼ばないか。2000.5.21
小淵政権崩壊は必然であった。2000.4.7

2004/4/10

自衛隊は名誉ある撤退を、一刻も早く実行すべきである。

 戦火が増してくる中、情況への発言を書かなければならないのだが、情況に言葉を発することが余りにも空しくできずにいたようだ。カンボジアの研修から帰り、イラク問題の泥沼化に関し政治に携わっている人間として、今の気持ちを書き示すことが、現在の自分を検証することに繋がると再認識しました。改めて、少しでも言葉を書き示す努力をすることにした。

 私は、自衛隊の派遣には我が国の国益に繋がらなく、また派遣する根拠もなく当初から一環として反対をしてきた。しかし、派兵が決まり具体的にサマワに駐屯してからは、問題の核心は撤兵に移った。つまり、自衛隊を何時の時期に撤兵させるかということである。今回の三人の民間人の人質事件があろうとなかろうと、そろそろ限界にきていると思う。現在、自衛隊は活動中止して陣に隠っている状態である。内乱に近い状態の中で、人道支援は無理であって、今後、事態が悪化すれば、日本の自衛隊は邪魔者になるか、戦闘するかのどちらかになる。どちらを取っても国益にも貢献にも繋がらない。むしろ多大なる損益である。残された道は撤兵しかない。
 民間人の人質も犠牲にする訳にはいかないのだから、今こそ勇気ある撤退をすべきである。そのことを世界にアピールすることが、日本として最も世界貢献できる道である。

私は、1週間前にカンボジアの研修から帰った。期間としては1週間の短い研修ではあったが、カンボジアの復興は目に見えるものがあった。そして、国家という枠を超えた、NGOと国家、民間企業とNGO、市民とNGO、ローカルNGOとODAと多様な国家を超えた関係の支援が最も必要であると感じた。つまり、国家間の紛争を国家というものを全面に出して武力で解決する時代は過ぎつつあるということだ。
 そのような意味でも、今回の民間の3人の行為は、バカな行為ではなく真っ当な行為のように思える。圧倒的な武器を投入し無差別に破壊、殺りくする行為こそが改めるべきものである。
 テロが何故起こるのかを、意図的に調査せず、善悪を支配の論理で考える。そのような偏った考えは、今後の世界秩序の形成に弊害でしかないことは明らかだ。それを解らないと言わしめているのは、支配と権力構造であって、多くの世界市民ではない。

日本は、自衛隊を撤退する。そして、政策の誤りを認め内閣を解散し国民に問うべきである。そのことが、今後の日本の政治情況を大きく成長させることに繋がると確信する。

2002/3

9・11から半年、戦火は続く。

戦火は続いてる、確かに人は確実に殺害され止めどもない
難民が出ている。 それは確かだ。それも広がりをみせている。

インド、パキスタン、インドネシア、ソマリア、そして激化
するパレスチナ。ことばを失いそうな勢いである。
戦火は確実に広がる。 そして広げようとしている欲望がある。
この正体とはなんだろうか。

今日も我が国では正体不明な国会審議が続いた。
これは茶番なのだろうか。
世界とはもっとまともなはずではないのか。 テレビは今日も半年後のニューヨークを紹介した。 そこでは知的な人々がボランティアで集まりグランドゼロの
爆心地をどうするか を話し合っている人々を紹介した。

同じ時間にアフガンでは多くの殺害がおこなわれている。

2001/9/26

報復は何も生まない。
悲しみがつのるだけだ。

今回のテロは許されるはずはないが、それに対して報復も許されるものではいと思う。ソ連のアフガンへの侵略行為は何であったのか、それを食い止めたアフガンの兵士たち、さらに後方を支援したアメリカという構図も考えなければならない。その中で犠牲になった人々は先進国の利害に振り回されボロボロになった、あげく取り戻した祖国もアメリカの必要な介入に遭う。
石油という宝の山を奪い合う先進国という構図は、アラブ諸国に多くの犠牲を重ねて来たことは事実である。


 先進国は持続可能な社会を如何に構築していくかという段階に入り、環境問題が世界の政治の課題となったはずである。それをことごとく最近のアメリカは覆し、一国の利益中心の高度成長期の政策を押し付けて来ていたことも確かである。今回のテロに待ち構えたように嬉々として立ち向かっているアメリカの姿は滑稽ですらあると思える。死者を思うのであれば死者を生む行為はなすべきではないと思う。


 国民の多くが報復を支持するというならば、他の先進国はそれに賛同するのではなく先進国として何をすべきなのか思考すべきである。極度の思考停止に陥っているようでならない。民主主義は時間をかけて話し合うこと、話がつかないならば、つかないところは何なのか探ってみることが大切であると思う。そんな呑気なことをしている場合かと思うかも知れないが、それをしないから乱暴なことになる。

 先進国は途上国に対して、勿論日本も含め何をして来たというのだ、今日も中国では「イタイイタイ病」が発生しているという。先進国の役割は何かということは、過ちの体験を知らせ人類が共存していく道を探ることであろう。
自分達の生きていくことに弊害があるから「ならずものは潰す」という倫理は少なくとも21世紀には不似合いである。

 そのような乱暴な言論について行くことは火に油を注ぐことで解決にはならない。アメリカは武力で世界の秩序を勝ち取り、国内的には軍事産業で経済を建て直し強いアメリカを誇示しようとしているように見えるが、この戦争は悲劇を生むことになることは確かだ。数十人のテロ行為がアメリカの中枢部に壊滅的打撃を与えたことの事実は何処にでもそのような事は起こると言うことの
裏返しである。国力を使い武力を行使しても同じことは起こると言うことである。日本が支援すれば日本でも起こり得るということになる。故に武力での解決はないということである。我が国は今回のテロ行為に関して武力の行使にも、いかなることにも追随をすべきではないと思う。何もしないことを世界にアピールすることが如何に重要であるかを知ることが大切である。そして、テロ撲滅に対して先進国は何をすべきかを提示することが日本のとる道の一つのようでならない。

 アメリカの政策に追随する小泉政権にNOといえる自覚を持つこと、そして確かな目で世界を感じなければならない。それができる状態に私たちは立っていると思う。時代は現代はここにあって、仮想敵国を創造しなければ国家が秩序が保てないナショナリズムには現代を感じることは決してない。
私たちの感性は戦い拒み、戦いを超えるものを創造することだ。

2001/5/16
小泉政権への期待はない。
期待は80%以上の支持層にある。

小泉政権への期待はない。他の候補者への期待も勿論ない。ただ小泉氏以外で あったらまちがいなく自民党は崩壊した。来るべき未来の為にどちらがよかっ たのか定かではない。むしろ重要なのは80%以上の支持層である。期待はここ にある。小泉政権にはない。小泉政権になって官僚政治から形なりにも脱却しよ うとする政治が、お茶の間政治化することは明白である。そこから見えてくる ものは、「なんだ、こんな政治なら僕らにも考えがあるぞ。」という市民政治 と愚民政治である。問題なのはどちらを選択するかである。 所信表明や国会の討論を聞いても、地方政治を抜け出していない。 国政の政治ではない。 改革は自民党内の改革であって、世界政治の中で我が国の政治をどう改革して いくかなどは話にもでてこない。世界政治の有り様は激変している。その中で 先進諸国の日本の政治はどうあるべきかを語らなければ、改革は見えて来ない。 ましてや「親しみのある」「自分の言葉」というのは曲者である。小泉氏を取 り巻く状況は極めて自民党の超保守層であり、自民党の本流である。竹下派から の流れは、自民党の亜流でありリベラルであったといえる。だから金がかかった。 それでしか権力を取れなかったからだ。まあ自民党の政治はよしとしよう。 靖国問題、有事立法、天皇制的首相公選制、中央集権的地方分権、と改革のようで 改革ではないものへと流れていくことは明らかである。ここで問題なのは「なんだ、 こんな政治なら僕らにも考えがあるぞ。」である。80%以上の関心のよりどころで ある。ここに期待がある。 地方政治はある程度市民政治に近づきつつあると思う。利権がなくなった政治、 その吸引力がなくなった政治に、市民政治のスペースができた訳にすぎないが、 それでも期待感のある地方政治が増えてきていることは確かだ。今回の地方の 党員選挙を動かしたものは、まさしくこの動きといえる。「なんだ、こんな政 治なら僕らにも考えがあるぞ。」というスペースをつくることだ。 希望は、ここにある。 具体的にどうするか。首相公選制、地方分権を早急に制定していただき。その 中で愚民政治にならないような感性「なんだ、こんな政治なら僕らにも考えが あるぞ。」を磨くしかないだろう。「自由」ということが政治を改革し「制度」 をつくり変えるという政治の営みは、中田や一郎、野茂や新庄に、そして世界を 旅するアーティストに見えてはいるのだが。

				
				
2000.5.21
「神の国」発言は、
なぜ波紋を呼ばないか。


一国の首相ともあるものが、主権在民の憲法をさておき、「日本の国は天皇を中心とする神の国であることを、国民にしっかり承知していただく」と発言した。即刻、退陣になるだろうと思った。ところが、発言も取り消さず誤解を招いたとしたら遺憾であった等と言葉をにごした。そして、自民党の中でもこの発言によって選挙に大敗すると感じている人は少ないとみることができる。なぜなら、自民党の大半の政治家は選挙のために政治をやっていると言っても過言ではない、選挙に決定的なダメージがあると判断すれば、引きずり降ろす。ところが、そこまではしない、小泉氏は、ある講演で、それに触れ笑いながら「自分の意見をあまり言わないようにいていただくように等」とかわしているにすぎない。ほとんどの人が重要視してない、こまったもんだと流してしまう事実から伺うことができる。
神の国発言よりゴシップねたの方が上と判断している。国民も大騒ぎはしていない、「またバカナコトいってる」と流してしまう。マスコミも同様で面白可笑しく伝え流している。この国の政治は崩壊していた。

橋本治は「どうして日本人は、日本の総理大臣が密室で決められてしまうことに対して、”どうせそうなんでしょ”的な許し方をしてしまうのか?」を検証し歴史的に密室で決められてきた事実があることを記している。これはどういうことかというと、主権在民などではなく、権力闘争であるということ、政権与党にいかにして

いつづけ、総理の椅子を分けあい、奪いあいするのが主な政治だということだ。
そ のためには何でもするということだ。政治改革や分権などできやしないことは明白である。

国際政治など見ることはしない、そんなことをしていたら地盤がゆれる。地元に張り付き選挙対策と利権誘導で忙しく動くことの方が重要である。

このようなお粗末な政治におつきあいをしてはいられない。
多数の国民は政治に希望を持つことはなく、景気に希望をみいだしてきた。
ここにきて、どこに希望をみいだしていいやら、国民は不安になっていることは確かだ。
確かだが、現政治が今のままであるうちは、国民は感心をしめさないように思う。
政治に感心を持つものは、愚かな大政治に感心をしめさず、市民政治に感心をよせているに違いない。確かな足取りで。希望はここにある。

来る総選挙に自民党はある程度の勝利をするだろう。
非常に希薄で危ない政治的状況の中で、森発言は確信犯である。あの、無垢な笑みを浮かべての発言は、それを支える強度な言論を待ち望んでいるようにみえた。

政治は、こんなところには無い。

			

2000.4.7
小淵政権崩壊は必然であった。

小淵政権が崩壊した。

総理自身の病気のためというが、限界であったことは言うまでもないだろう。政治的システムが世界的状況に対応していけないというのが我が国の政治の一番の課題であるのに、経済や政治の改革が既存の保守的勢力におされ、あるいは既存の保守的勢力でこのまま乗り切れると勘違いして代りばえしない政策と対処の仕方をしていては行き詰るのは、火を見るより明らかだ。大政治は自己改革する力を失っている。新しい政権や官僚の人事をを見ても何をすべきか見失っている。すべては保身のため創造を停止している。もはや政策的政治課題を国民のために打ち出せない。テレビでは回復を祈る声を垂れ流している。戦前なのかしら。

小政治を具体的に解放していくしか道のりはないのか。細川政権を引きずり下ろした責任は大きい。取り返しがつかなくなってしまった。ただ、可能性としては自ら我が国の政治が見る影もなく終る時、引きずり込まれないために新しい力を育てておく準備をしておくことだ。状況は整いつつあると思う、それは一般大衆が政治のお粗末さを具体的に見抜いてしまったということと、感覚的に現政治状況を越えているということでわかる。既存の政党や組合い運動に時には共闘することはあっても組みする必要はないということ。その段階にすでに入ったということだ。

具体的な小さな行動を世界市民的視野で展開しルールを変えていく努力をする。足を引かずに手を引くことだ。


			
		
			

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