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◎自衛隊は名誉ある撤退を、一刻も早く実行すべきである。2004/4/10 |
◎9・11から半年、戦火は続く。2002/3 |
◎小泉政権への期待はない。期待は80%以上の支持層にある。2001/5/16 |
◎「神の国」発言は、なぜ波紋を呼ばないか。2000.5.21 |
◎小淵政権崩壊は必然であった。2000.4.7 |
自衛隊は名誉ある撤退を、一刻も早く実行すべきである。
戦火が増してくる中、情況への発言を書かなければならないのだが、情況に言葉を発することが余りにも空しくできずにいたようだ。カンボジアの研修から帰り、イラク問題の泥沼化に関し政治に携わっている人間として、今の気持ちを書き示すことが、現在の自分を検証することに繋がると再認識しました。改めて、少しでも言葉を書き示す努力をすることにした。 私は、自衛隊の派遣には我が国の国益に繋がらなく、また派遣する根拠もなく当初から一環として反対をしてきた。しかし、派兵が決まり具体的にサマワに駐屯してからは、問題の核心は撤兵に移った。つまり、自衛隊を何時の時期に撤兵させるかということである。今回の三人の民間人の人質事件があろうとなかろうと、そろそろ限界にきていると思う。現在、自衛隊は活動中止して陣に隠っている状態である。内乱に近い状態の中で、人道支援は無理であって、今後、事態が悪化すれば、日本の自衛隊は邪魔者になるか、戦闘するかのどちらかになる。どちらを取っても国益にも貢献にも繋がらない。むしろ多大なる損益である。残された道は撤兵しかない。 私は、1週間前にカンボジアの研修から帰った。期間としては1週間の短い研修ではあったが、カンボジアの復興は目に見えるものがあった。そして、国家という枠を超えた、NGOと国家、民間企業とNGO、市民とNGO、ローカルNGOとODAと多様な国家を超えた関係の支援が最も必要であると感じた。つまり、国家間の紛争を国家というものを全面に出して武力で解決する時代は過ぎつつあるということだ。 |
9・11から半年、戦火は続く。
戦火は続いてる、確かに人は確実に殺害され止めどもない インド、パキスタン、インドネシア、ソマリア、そして激化 今日も我が国では正体不明な国会審議が続いた。 同じ時間にアフガンでは多くの殺害がおこなわれている。 |
報復は何も生まない。
悲しみがつのるだけだ。 今回のテロは許されるはずはないが、それに対して報復も許されるものではいと思う。ソ連のアフガンへの侵略行為は何であったのか、それを食い止めたアフガンの兵士たち、さらに後方を支援したアメリカという構図も考えなければならない。その中で犠牲になった人々は先進国の利害に振り回されボロボロになった、あげく取り戻した祖国もアメリカの必要な介入に遭う。
先進国は途上国に対して、勿論日本も含め何をして来たというのだ、今日も中国では「イタイイタイ病」が発生しているという。先進国の役割は何かということは、過ちの体験を知らせ人類が共存していく道を探ることであろう。 そのような乱暴な言論について行くことは火に油を注ぐことで解決にはならない。アメリカは武力で世界の秩序を勝ち取り、国内的には軍事産業で経済を建て直し強いアメリカを誇示しようとしているように見えるが、この戦争は悲劇を生むことになることは確かだ。数十人のテロ行為がアメリカの中枢部に壊滅的打撃を与えたことの事実は何処にでもそのような事は起こると言うことの アメリカの政策に追随する小泉政権にNOといえる自覚を持つこと、そして確かな目で世界を感じなければならない。それができる状態に私たちは立っていると思う。時代は現代はここにあって、仮想敵国を創造しなければ国家が秩序が保てないナショナリズムには現代を感じることは決してない。 |
2000.4.7 小淵政権が崩壊した。 総理自身の病気のためというが、限界であったことは言うまでもないだろう。政治的システムが世界的状況に対応していけないというのが我が国の政治の一番の課題であるのに、経済や政治の改革が既存の保守的勢力におされ、あるいは既存の保守的勢力でこのまま乗り切れると勘違いして代りばえしない政策と対処の仕方をしていては行き詰るのは、火を見るより明らかだ。大政治は自己改革する力を失っている。新しい政権や官僚の人事をを見ても何をすべきか見失っている。すべては保身のため創造を停止している。もはや政策的政治課題を国民のために打ち出せない。テレビでは回復を祈る声を垂れ流している。戦前なのかしら。 小政治を具体的に解放していくしか道のりはないのか。細川政権を引きずり下ろした責任は大きい。取り返しがつかなくなってしまった。ただ、可能性としては自ら我が国の政治が見る影もなく終る時、引きずり込まれないために新しい力を育てておく準備をしておくことだ。状況は整いつつあると思う、それは一般大衆が政治のお粗末さを具体的に見抜いてしまったということと、感覚的に現政治状況を越えているということでわかる。既存の政党や組合い運動に時には共闘することはあっても組みする必要はないということ。その段階にすでに入ったということだ。 具体的な小さな行動を世界市民的視野で展開しルールを変えていく努力をする。足を引かずに手を引くことだ。 |