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OldなJazzのルーズな日々


2006-01-01 音楽

Bessie Smith Complete Vol.4 bessie

ためすけとしては今年あたりからTradなBlues(Real Blues?)が復活する、と信じているのですが・・・(本当かぁ?)何故って今の音楽に欠けているのが「本当のBluesフィーリング」だから。

本当のBluesでBessie Smith 1928年から1931年の録音。1920年代のRace Recordのブームは20年代後半には徐々に下火になります。残念な事に1928年にはBessieの人気も下がって来てしまいます。1928年前半Fletcher楽団のメンバーが参加したレコーディングの後Showをこなし、同年8月にまたレコーディングに入りますがColumbiaが予算を渋った(?)か録音日程が2日だけで8トラック、バックバンドが貧弱です。歌は良いのですが、この期間のバックは頂けませんでした。。。。その後しばらく旅を続けて1929年5月ころから再度録音に入りましてこの年から1930年にかけては録音の間隔も適度に間があって詰め込みレコーディングでは無い様です。Clarence Williams,Eddie Lang,James P Johnsonのバックで入って来ます。この頃の録音はいいですねぇ。JohnsonのPianoとのDuoが入っていますが、Pianoだけ聴いても、ただの伴奏ではない完成された音楽になっているのですよね。これはPiano弾く人は是非聴いて欲しいです。

1930年7月で一旦録音は止まって一年後1931年6月11日にまた詰め込みレコーディングですがバンドで4トラック録音しています。PianoがClarenceで、この時Besseiとして始めてDrumを含めたレコーディングを行ったそうです。


2006-01-02 音楽

Real Blues?

Real Jazzのモジリで"Real Blues"なんて言葉を使ってみて、後で検索をかけてみたけれど、どうもそういう言葉は日本ではあまり使われていないらしい。使い古された言葉ではないと考えてよいかな。という事はどこぞかのメーカがBluesタイトルを売り出したくてこのキャッチで売り出したりする事が出来るという事だ。まあ、そんな気は起さないと思うが。Bluesは歴史が長い上に枝葉が茂ってかなり分けわかんなくなっているので、どっかの誰かが「これがReal Bluesだ!」とか大々的にメディア展開したらそれなりにウレ筋をつかめる可能性が無いではないと思われます。個人的にはMa Rainey,Bessie Smithあたりを打って欲しいけど、Blues=ギターという認識の方が行き渡っているのでロバートジョンソンあたりを"元祖Real"に仕立てられる可能性が大かもしれませぬ。とりあえずここでは「1900年代生まれのBluesは元祖とは言えません」とだけ自己の見解を述べておきます。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

愛宕町私設ライブラリ [明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。 年末年始もマメに更新していますね。頭が下がります。 今年はギ..]

ためすけ [またまた何かとお世話になるかとかと・・・よろしくおねがい致します。Bluesセッションもやりますので遊び来てみて下さ..]


2006-01-04 音楽

Kansas City Jazz kansas

ページも内容も値段もヘビーです。Ross Russell著 原題 Jazz Style In Kansas City And The Southwestで「カンサスシティとアメリカ西南部のJAZZスタイル」とかいう意味になるでしょうか。邦題は分かりやすく書いてますが内容は1920-1940年初頭にかけてのカンサスとその近傍であるアメリカ西南部のJAZZ様式の歴史について解説した書籍です。人名/地名/曲名など山ほど入ってまして、内容を理解するには1920-40年始めまでの音源を一通り聴いておかないと読んでいて全く意味不明です。 原著は1971年発刊、日本語版は1993年となってます。決して新しい本ではないですが、発刊当初は1920-30年代の音楽などろくに復刻されてない、なまじ版権の関係で復刻したくても出来ない時代ですね。もしその頃日本で訳本が出ても先ず何の事やら誰にも理解出来なかったと思います。1993年はアメリカで古いSPのCD復刻が増えて来た頃ですが、日本ではインターネット以前のパソコン通信時代、日本のパソコン界が世界で一番遅れを取っていた石器時代でもあります。この時分に出版してもはやり日本では情報不足で分け分からんだったでしょう。Amazonだって無い時代だし。 非常に長いので少しずつ紹介するしかありません。ターゲットとなっているのがミズーリ州カンサスとその周辺の都市の黒人音楽で、地域的にもアメリカの大都会からやや切り離された地域です。その地域で禁酒法時代、禁酒法を無視した独立地方都市カンサスを中心として初期のJAZZの一大文化圏が存在した。そこから原題のModernにつながるJazzの流れが発生した、という事を当時の音源/文献、とまだ存命であったミュージシャンたちへのインタビュー等で構成、解説しています。 著者はダイアルレコードの創設者で、パーカーのマネージャをやったくらいの人です。原書発刊の1971年ですが当然資料の整理等考えて60年代終わりから書き始めたと思います。その頃といえばコルトレーンが丁度亡くなるあたり、マイルスはエレクトリックを始めています。ベトナム戦争真ただ中。アメリカとしては文化的にも政治的にも明るい時代ではないですね。そういう時代に書かれた本だと考えねばなりません。時代背景から言って相当にバイアスかかってます。Modern,Bopを殊更に擁護している、または擁護したがっている様です。実際に読んで行くと、話しの流れでいきなり時代が10年から20年飛んだり、大恐慌前/後、禁酒法時代/解除後、では事情は全く違うはずなのに両時代がごっちゃに話題に書かれたり注意が必要だと思います。またこの著者ほど事細かにカンサスを中心に調べた人は70年時点でいなかったし、その後もいない(らしい)。OldJazz全般を聴きまくったり、ミュージシャンに関しての逸話を集めた人もあまりいなかった。古いレコードを手に入れるのに民家を尋ねて物置の中の古いレコードを譲って貰いに歩いたくらいで、その時点で本当に十分に音源が収集出来たのかやや疑問。またこの人の書いた物がおそらく原典としてあちこちで引用されてきたであろう事です。 それらが現在のJazz一般の知識ベースになっているのではないかなという点です。これは追々確かめて行きたいと思います。リンク→ カンザス・シティ・ジャズ

2006-01-06 音楽

Thinking BIGscott robinson

変人Scott Robinson タイトルは何だろう「でっかく行こう」みたいな意味?なのかな。誰か教えて。

このCD、使っている楽器がまあ様々で通常のSoprano,Alto,Tenor,BritonにC-Melody,Clarinet,Bass Clarinet,Bass-Saxに加えてContrabass Sarusophone(これまた珍しい),写真のContraBass Sax、ついでにTheremin(テルミン)までやちゃう。

ContraBass Sax、ContraBass Sarusophoneなんて現存するの楽器って何台あるのでしょうね。ContraBass Saxは巨大で人の背丈より高い。この両方の楽器の音を聴き比べられるのは貴重です。

入っている曲はEllingtonやLil Armstrong(サッチモの奥さん)の古い曲からSun Raなどバラエティに富んでいます。本当にトンでます。テルミンでJAZZ?! といってもバラードですが。Mood Indigoをテルミンで演奏しているのは中々よいです。最初シンセサイザかと思ってしまいました。テルミンの演奏は結構難しいそうですが。

全体キワモノと思われると困るのですが、全部まっとうな音楽です。この人の良いところは変わった楽器でもちゃんと楽器を使いこなして、特性を生かして気持ちの良いSwingと質の良いJazzをやってくれる事です。こういう姿勢がJazz屋には欲しいですね。検索リンクー>Scott Robinson 


2006-01-07 音楽

中山英二トリオ

久々に地元に来て頂きました。旧Akuaku時代から何度も当地へはお越し頂いております。以前一緒にユニットを組んでいたパーカッションの人が中山さんとその昔ユニットで活動していたりしたので、パーカッションさんも聴きに来てました。まあもう説明の必要も無いでしょう。 公式ページ Piano 森丘裕希、Drums 嘉本信一郎、Piano森丘さんは1年半前にたまたま中山さんの処に送られたデモテープから抜擢した若手で、抜擢されるくらいですから本当に期待の新人さんです。これからきっと名前を見聞きする事になると思います。残念ながら今日は客の入りが少なく勿体無かったです。

2006-01-09 音楽

[考察中] Jam Session

そもそも"Jam Session"が現れたのは何時の事なんだろう・・・?Kansas Cityの話しではどうもJam SessionはKansas独自のものであるかの様に書かれています。

それとは別にNew Orleans Jazzも集団即興なので元からJamだったという話しも以前聞いたけれど、実はその辺の出典/原典にあたるものは?どうも見つからない。件の書籍ではKansasで行われたJamについては、まるでストリートファイトかカウボーイの腕試しみたいなお話になっているが。同時代のJamについて何だかの証言があるかというとRusselの本の他に今の処では出典が確かめられません。

Russelの記述もKansasで行われていたSessionの模様と後のNew YorkのミントンハウスのSessionの模様が時間軸が曖昧で1920年代1930年代1940年代の様子がごっちゃになっている様です。Jamという形態/またはそのコンセプト、歴史、バトルだったのかお遊びだったのか、傍証となるものも見つからない様なのです。

Russelとして言いたいのはBopの原動力はJamSessionであり、Kansas発祥のストリートファイトでJazz=どっちがスゴいか喧嘩して白黒付けるバトルだ・・・だからJazzはスゴく(強く)なったのだ、という事らしい。しかし、実はその辺の論旨、明解に書かれていないのです。この本では文章の書き方は曖昧で全体的に匂わす様な感じで細部を読もうとすると時間軸がよく見えないという記述になってます。

戦後のミントンハウスJamは明らかにそれまでのSwing系のOld Timerを閉め出すためにわざと難しい事をやった旨は当時のミュージシャンの直接の証言もあるので確かでしょう。

それがModern JazzのRootsだとすると、そのコンセプトに従えば、一番強い奴だけが残るので、1ユニットに参加できる楽器は一種類一人づつしかステージに上れない上がってはいけない事になるし、トランペットとコルネットが仲良く掛け合いなんて絶対有り得ないし、腕自慢が目的なのでSoloは拝聴すべきでアルトサックスの裏でトランペットとトロンボーンが好き勝手にオブリガートを入れるなんてもっての他という事になります。

強い奴だけ残れば良いと言う発想は20世紀の誤解そのものでそれが原因でいろいろ悲惨な出来事があったわけで、Jazzもその方向に進んだしその結果Collective Improvisationは一時期捨て去られるわけですが。Collective Improvisationは別な方向性も持つ事になるのだけどそれはそれで後程。


2006-01-11 音楽

Eddie Condon Vol.2 condon

Eddie Condon Box の Disk2 1932-1937年の録音。バンド名はバラバラですが、この期間は1932年の2つの録音を除いてGene Krupaは入っていません。

1932年はHenry Red Allenが沢山入っています。この頃の音楽はOld StyleのNew Orleans Jazzですね。1933年からBud Freemanを入れてEddie Condon Orchestraの名前になってテクニカルなSwing Styleになります。以降New Orleans色が薄くなりSwingに向かっている様です。1934年録音は入ってませんで、後半1935年からはDrum:Cozy Cole、Tenor:Bud Freeman、Tpet:Bunny Beriganあたりがハイライトでしょうか。Swingして気持ちよいです。で、BossのCondonさんはバックに徹して殆どというか、全く前に出て来ません。(自分の名前のバンドでも)

このDisk2/Track21 Dick Porter Orchestraの'Sweet Thing'は Clarinet:Joe Marsalaとクレジットにありますが、楽器はAltoの様です。

面白いっと思ったのはJoe Marsala's Chicagoansの1937年録音 Harpーハモニカではなくてたて琴の方ーが入っていました。ちゃんとSolo取ってるぅーー。Adele Girard こんな人がいたのだ。


2006-01-12 音楽

考察:楽器編成

Jazzに限らず音楽全般見渡すと、楽器や楽器編成が音楽を作って、音楽が楽器と楽器編成を決めるという相乗効果で音楽が変化して来た経緯がある様です。例えばNew OrleansスタイルのOld Jazz時代は3-4リズムに3管くらいが加わった7−8人編成がスタンダードでしょう。

別な話で、「人間は一度に7つを越える事柄を理解するのは困難である」という話があります。7桁の数字は簡単に覚えられるけれど8桁になるといきなり記憶出来なくなるとか、一週間が7日なのは8日では日程の把握が出来ないからだとか。人を集めてチームを組むにもはやり10人を超えると意思の疎通がやり難くなるのでチームの人数は7−8人が丁度よいかと思います。

それでバンドですがNew Orleansスタイルの集団即興という「誰彼が好き勝手に音を出す」という状況では、自分の音と他メンバーの出している音をリアルタイムに把握しなければなりません。これが可能な限界が最大で7−8人で、丁度よい編成になるのではないかと思われます。それで次に中身ですがリズムセクションとメロディセクションの数では、リズム1+メロ7では今度は音楽的にバランスが悪い。リズムの他に音楽の流れを作らなければならないのでコード楽器も必要でコード楽器はある程度リズムの役割が出来るので、いろいろバランス取って試行錯誤もあったでしょう。あの人数になったのは理にかなっているのかと思われます。また編成の中身なのですが、どうも楽器編成も、お料理と同じで「何でも混ぜりゃいいってもんじゃない」のだと思えます。音色/音域等、適当に変化があってお互い良く馴染んでかつ持ち味を壊さない様な組み合わせは、実はそれほどバリエーションは無いものと考えられます。

時代が変わって音楽のコンセプトとそれに合った編成も演奏の現場が大きなダンスホールなどになって行くと、必然的に人数を増やさなければならなくなりアレンジメントが必須となります。編成を大きくするにもこれまた何でも楽器を増やせばよい分けではなくて、作られる音楽もその編成を生かす形に変化をして行ったものと考えられます。その辺の動きが1920年代の終わり位からかと、その時期からJazzはSwingに近くなり平行してCollective Improvisationのコンセプトが遠ざかって行った様で、それはそれでさみしかった(当時のMusicianも)のではないかと推測しています。Henry Red AllenやClarence Willamsなど、サッチモとほぼ同時代ですが、編成の大きなBandへは走らずに結構地味に小編成のNew Orleans Styleの編成の音楽を残しています。Collective Improvisationを残しながらSwingには行かなかったのか?というと、これはPAシステムの無い時代だったので、音量の問題からその方向へは行けなかったのではないかなと、推測します。それではCollective ImprovisationのスタイルでかつSwingする音楽はあったのか?これが後の1940年代半ば頃のR&BやJump Bluesに当たると思われます。この時代は戦争もあったりBigBandな派手派手な音楽は営業上立ち行かず、必然的に規模が小さくなったわけでしょうが、その事が逆にCollective Improvisationの性質も復活させた(それを除いたら貧弱なバンドミュージックにしかならなかったろう)のだと考えます。

残念ながらその時代は日本も混乱していたりしてリアルタイムには音楽が聴けません。後にJazzが日本に広まった時には、この時代はBopの創世記としてしか捉えられず歴史的にも重要で楽しいJazz Musicがあった事すら、Jazz屋にも全く無視されてしまったというのが現状だと考えられるわけです。


2006-01-15 音楽

lydian

The Lydian Chromaic Comcept of Tonal Organization

以前紹介、バークリメソッドでも取り上げられています。Jazzの理論書として有名。ジョージラッセル著、リディアン・クロマティック・コンセプトです。

これはその教本の第一巻で、これを読んで著者に直接教えを受けないと第二巻が手に入らないのだそうです。それが完了してLydian Chromaic Comcept のマエストロとして認定されるのだそうです。

何かーえらく閉鎖的ですね。何でそこまでするの?日本の家元制度の悪い処をまんま取り入れた感じもします。菊池さんはこの教えを「異端」という扱をしております。本来オープンであるはずの音楽(それもJazzに)にこの様な秘密主義教条主義があること自体、大間違いなのですが。技術ステータス信仰という20世紀の痛い思想が相変わらず続いているという事でもあります。

とりあえず読んだ処で書いてある事など。この書の主旨は「コンセプト」の説明にあります。理論と言っても「こうしなさい」という内容ではなくて「この様に考えると良い」という「概念」を提示しているものです。だから「コンセプト」であって「セオリー」とは言っていません。どういうコンセプトかというと4度から始まるスケールがコードのトーナリティを決めるスケールだとの事。これだけでは良く分からんですね。興味のる方は読んで見て下さい。

またハッキリ書いてある事ですが、このコンセプトはバークリーメソッドと同じく「平均律」の世界での話であると明記してあります。1オクターブ12音が均等に配置されて各音は固定されているという前提に立っていますので、示唆する処は、ゼロビートの再発見、で対象としている純正和音やピタゴラス音律とは無関係(=このコンセプトの世界では扱えない)という事になります。当然ですがBlue Noteなども扱いの範囲外です。バークリーメソッドと同じくBluesの理論化/体系化は出来ていません。だからー平均律を使っていてはBluesは理解できないんですよ。


2006-01-16 音楽

Al Cooper SAVOY SULTANSalcooper

ようやく手に入りました。Al Cooper率いる SVAOY SULTANSのオリジナルレコーディングです。時代は1938年〜1941年。リーダAl CooperはAltSaxとClaで、編成は3Reeds,2Tp,3Rythmの8人です。トロンボーンが入っていません。SAVOY SULTANSはその名の通りNew YorkのSavoy Ballroomの専属バンドで1937年から1946年まで存続したそうです。残念ながらオリジナルの録音は1941年までしか残っていない様です。戦中の混乱やレコード録音禁止令のためだと思われます。

音楽ですが基本がDanceBandですから、もう「Swingいのち」のバンドです。同時のバンドしては小編成の部類に属しますが、タイトでキレの良いリンディポップのダンスビードからスローバラードまで聴かせてくれます。ソロも沢山フィーチャーされていますが技巧に走る傾向はありません。非常にオーソドックスなSwing,またはBluesです。

リーダのAl CooperのAltoがスタイルがJohny Hodgesに似てます。似ているというか、わざと真似をしているかの様に聴こえます。当時すぐ近くにコットンクラブがありHodgesが吹いていたはずなので、まあ意識しないでは無かっでしょう。Hodgesナンバー"Jeep'S Blues"なんかやってますが、AltoといいMute トランペットといいEllington楽団の奏法をまねしてます。全体にSaxセクションはハーモニーよりもリズム感を重視したアレンジになっている様です。Ballroomという場所と編成によるものと思われます。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

more & less [この楽団の演奏につき、マイルス自叙伝1/77頁(文庫版)では、「ものすごい演奏で気に入った」「サヴォイ・サルタンズの..]

ためすけ [マイルス自伝は新し過ぎでまだ読んでないのですが、確かに音源聴いた限りでは非常にオーソドックスな演奏でものすごいという..]


2006-01-17 音楽

Blue Note

Bluesの要素BlueNoteについてのメモ。まだ検証中。

マイルスはモードスケールをJazzのImprovisationに使う様にしました。BluesNoteスケールは西洋のMajorスケールの三度と七度をむりやり半音下げてMinorスケールをぶつけてきたもの、と言われています。関連してモードのドリアン音階がアフリカの民族音楽の音階だとかBlueNoteのスケールの類似だかそのものだかと認識されています。またモードで使われる音階はピタゴラズ音階である、と言われています。そこでピタゴラス音階について復習してみます。

ピタゴラスの音階は完全五度の音列を元に作成していきます。とりあえずCを基音として音を取って行くと、、、、
上へ五度づつ : C→G→D →A
下へ五度づつ : C→F→Bb→Eb

なります。これで C,D,Eb,F,G,A,Bb の7つのスケール音が得られ、これはドリアンに相当する音階です。ここで、各音の音程を平均律と比べると、D,A は高め、Eb,Bb は低め、の音程になります。F,Gは非常に僅差ですが、Fがちょっっと低め、Gがちょっっと高め、です。

BluteNoteとは何ぞや?と理論書で解説されるにあたり、自然倍音列を元にして長三度の音程の下がった音が「"BlueNote"だっ」と認識されている事が多い様ですが、ピタゴラズ音階を根拠とすると短三度は平均律よりもさらに低くなるので、自然倍音を根拠にしたBluenoteは変という事になります。何が正しいの?かはとりあえず検証中という事で。また後程。


2006-01-18 音楽

Jazz:Hot and Hybrid hotjazz

暫く前に買ってどっか行ってしまって最近見つかりまた読み出しています。Jazzの歴史や音楽についての研究/解説書です。原著の最初の発刊がなんと1938年です。その後何度か再発行されていますがこの日本語訳は1946年の改訂版が元になっています。Jazz特有のリズムやBlueNoteについての研究がされています。

BlueNoteの研究についてはこの本が一番古いのではないかと思われます。メディアがSPレコードしか無い時代ですからサンプルは限られますが、BessieSmithの歌を元に解析を試みています。

筆者はBluesを「旋律的」音楽と捉えています。和声は西洋の音楽に乗ってはいるけれど独自の旋律がBluesの特徴でコード楽器の和音は「たまたまそこに存在しているだけ」であるという観点です。そしてその中で三度と七度の音程がどの様に変化して使われているかを検証しています。こういった研究は当時他にも色々行われていたそうですが、結論から言うとBluesの歌の表現では三度がフラットして短三度になるけれどその音程は通常の短三度より低い時もある高い時もあると、とまあ、ありきたりの結論でした。でもこれで良いのではないかな。この種の本の目的は研究書ですから、ありのままを検証して書けば良いわけです。音楽の理論書では「○○○は△△△である」と明言しなければなりませんので。だからBluesは理論として取り扱えないわけです。

他にも著作が古い割には(古いから?)突っ込んだ事が書いてあります。黒人教会の礼拝の様子など、本当に礼拝を見て取材していますので、時代から考えて一番実態に近い記述ではないかと思われます。

面白いなと感じたのはJazzを全く民族音楽とその延長であるという視点で見ています。これが1930年代の捉え方なのでしょう。興味深いところですが、この時代はメディアによってコントロールされている現在の「大衆」という集団が未だ完全に出来あがってない時代であると、明記されています。1930年代は新聞/雑誌、ラジオはAMだけレコードはSPでどちらもHiFiではない。映像は映画だけ、メディア未発達の時代です。この時代は「民衆」は存在したけれどメディアによって均一化/平坦化された「大衆」はまだ完全には無かったわけです。

この時代背景を前提とすると、音楽の種類には、譜面として残っている昔からある西洋音楽と、歴史があるのか無いのか分からない直伝としての民族音楽の2つの種類しか存在しなかった事になります。その様な時代だったからこそアフロアメリカンの民族音楽のJazzが音楽として高度に発達して定着して行った事が驚異的だ、と捉えられたわけです。メディアが発達した現在ではこの発想は有り得ません。知識も情報もメディアを通して簡単に手に入るので音楽の発達も主に外部からの知識導入で平均的に行われます。

Jazzの発達がメディア等外部からの知識導入で出来上がって行った音楽ではなく、現場で直接音を出す事から発達して行った音楽だとすれば(現実にそれがJazzだったとこの本の著者は結論付けている)理論書を片手に勉強するJazzなどはその時点でJazzでは無いよという事になります。まぁーこの辺り、著者はJazz/Bluesを全部ひっくるめてアフロアメリカン音楽全体を"Jazz"と呼んでいますから論点としては少々ズレているかもしれません。これも追々比較検証していきましょう。


2006-01-19 音楽

メモ:協和音

ハモる和音の事を協和音と呼びます。では協和音とは何か?これはゼロビートの再発見ではうなり、ビードが存在しない和音だと説明しています。2つの周波数の音が重なると間にf1-f2の差の周波数の音がうなり、干渉波として発生します。これは理科の時間に誰でも習っているでしょう。ではどうしてうなりのビートが0に無くなるのでしょう?

これを検証します。純正三和音のC:E:Gの周波数比は自然倍音列の中にある音の3つで 4:5:6 の比になり、2つの音が重なると間に発生する音は C-E,E-G,C-Eの三種類でそれぞれ、1:1:2 となります。これは Cを基本として、4オクターブ下と2オクターブ下のC音が発生している事になります。

だからうなり、ビートは発生してますが、キッチリオクターブ関係にある音なので混じってしまって聴こえない、という事です。

これは純正C:E:Gに限らず自然倍音列間の音では必ず発生します、というか、自然倍音列自体が最初っからそういう関係の音列になっているだけなのですが。

同じく純正三和音のC:E:Gの上には倍音列でBb(に近い音)が発生しています。これらの音程比は 4:5:6:7 になりまして、間に発生するうなりは 1,2,3, の音が発生します。周波数"3"の音とは、C-Bbの間に発生しますがこれはCを基本として、下のGの音です。そして同時にCの4オクターブ下のCの純正12度上2オクターブ下のCの純正5度上の音で、このうなり音"3"の音と他の音とのうなりは1,2となりこれまたCのオクターブ関係の音になります。協和している事になります。

またここでC:E:G:Bbを見ると、E−Bbの間が減五度になっています。この2音間の差が2ですから、ここの純正減五音程を鳴らすと何もしなくても下のC音が派生する事になります。これは協和と言えます。また、この倍音列の上にはさらにC:D:E:F# の音が倍音として存在しますが、ここでのF#は平均律のF#とFナチュラルの間くらいの音程です。ここで、C:F# は減五度音程です。そしてこの純正減五度間の周波数比は 8:11 で、うなりは 3 、 これまた倍音列内の音程で、下ーの方のGになります。

この様に協和しないはずの減五度音程が自然倍音列の中に存在して協和しちゃうという話しです。

協和音の定義は意外と明解にされてないかの様ですが、私の定義では2つ以上の音から発生する差音がすべて自然倍音列の中に入っている時は協和音、とする事とします。ただ、これではスゴイエグイ構成音も協和音になってしまうので、附則として、差音の種類が少なくてかつ2の乗数(オクターブの関係)の差音で音が離れていない時(C:E:Gの様なやつ)程きれいな協和音だ、という事にしておきます。

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Parmelia [Felt so hopeless looking for answers to my quesiotns...unt..]


2006-01-20 音楽

Eddie Condon Box Vol.3 condon

Eddie Condon の Vol.3 1938-1940年の録音です。Vol.2の時代から参加し始まった Bud Freemanがほぼ通してフィーチャーされています。そのぶんPee Wee RusselのClaが影がやや薄くなりました。この頃は全体にSwing的といいますか、力強い音楽に傾向が傾いて来てましてClarinetよりもTenorの出番が多くなった感じがします。最初はEddie Condonの名前のユニットだったのが、1939年にはBud Freemanのバンド名になって、メンバーが同じ様なメンツで、GtがCondonと(でもよく聴こえない ^^;)という経緯になっています。この頃のFreemanは良いですね。

変わった処で Brad Gowans:バルブトロンボーン、なんて人も入っています。音はトロンボーンですがスライド奏法は使わずに(出来ない)TPet的にしっかりメロディアスなフレーズを演奏しています。上声部がPetとClaの2管、中低音が TenorとこのTboneの2管で、各々金管&木管の組み合わせ、音色/音域のバランスが取れて気持ちよいのですが、この様な中低音部の充実した音楽の組み立ては現在では失われた音楽ではないかと思います。中々貴重な録音かと思われます。


2006-01-21 音楽

Coleman Hawkins 1943-1944 画像の説明

Coleman Hawkinsの1943年12月から1944年2月にかけての録音。戦争中で、確かまだ録音禁止令が完全に解かれたかどうか、の時代ではなかったかと思います。録音レーベルが1943.Dec.4 Commodore,1943.Dec.8 ,Signature,1943.Dec.18 Brunswick(LP),1943.Dec.23 Signature,1944.Jan.31 Keynote,1944.Feb.16 Apollo、 と、録音日が何日も違わないのにてんでバラバラという吹き込み状況です。何か当時のMusicianの苦労が偲ばれますね。。。

面白いのは、レーベルによって編成も違いますが、同時に音楽のスタイルもこれまたバラバラなのです。ベースがOscar Pettifordで殆ど変わらないのに。1943.Dec 4,8 は非常に正当なSwingでフレージングはホンカー流のスタイル、1943.Dec.18 はTenor&Guiterのクインテットですが全体に長いソロを重視したどうもLester Youngのスタイルの真似ぽい。その数日後の1943.Dec.23は本当にLesterの奏法をわざと真似してるとしか思えない録音が混ってます。1944.Jan.31の録音はRoy EldridgeのTPetが入っているのですが両者が通して絡むCollective Improvisationのスタイルを取っています。この録音はHawkinsの音にLesterぽい奏法が多くて好かんのですが2人のアドリブがすばらしいのでベストな録音かと思います。

1944.FebになるとDizzy Gillespieを含めた3Brass,4SaxのOrchestraですが古いSwingではなくモダン色の強い音楽になってます。短い期間によくもまあこれだけスタイル変えるよなぁと感心すると同時に聴いていて痛々しいと感じるのはこの頃は景気も悪かったろうし、好きな音楽を好きに様に出来る時代ではなく、何だかの「作為」をMusicianに求める風潮に変わって来たのではないかと考えられる事です。


2006-01-22 音楽

Lester Young 1943-1946 lester

Lester Youngのリーダ録音(ほぼ)Lester Young は活動が早い割にはHawkinsと比べてあんまり音源残ってないのですよね。活動の場所がカンサスで元々録音された音源の少ない地域の上に、調子のよい時期に恐慌にあったり、一時徴兵されたりしていました。このCDには1943年12月から徴兵直前の1944年5月までと復員した直後くらいの1945年12月からの録音が納められています。LesterのTenorはリリカルに歌い上げるスタイルで知られているのですが一部に旧SwingスタイルのTenorを駆逐したイノベータとしても語られる場合もあります。パーカーが手本にしたのでも有名ですが、どうも人間像がマチマチでもあります。

この時期の音楽を聴いてみると、1943.Dec.28のKeynoteの録音はカルテットの演奏で、ゆったり歌い上げると当時に"I Never Knew"の様なハイテク/流麗なソロを聴かせてくれまして、これぞレスターという録音です。次の 1944.Apr.18の録音はCount Bassie楽団のAlto Sax兼ボーカルEarle Warrenのリードバンド(Bassieは参加していない)の録音で4曲入っています。こちらはボーカルが主体の為かいきなりSweet Musicみたいな始まりをしてます。2曲のスローと2曲のアップテンポ、その中で優しく歌っています。

徴兵直前の1944.Mayの録音はピアノにBessieが入っているクアルテットですが、3曲スロー、1曲アップテンポですが、いや暗い・・・フレーズも1943年とくらべて元気無いです。復員直後1945年は同じくカルテット、でも同じく元気無いです。

その後の1945.Decと1946.Janの録音は、バンドの性格はSwingというよりBluesですねえ、これは。ドラムにJonny Otisが入っていたり一緒のAltoがWillie SmithでHarry James楽団にもいた事のあるこれまたブルースな人です。Hawkinsがやる様なバンドにLeserが入って無理しているという感じが否めません。"Jammin' With Lester"なんて曲があるのですが全然フレーズになってない・・・明らかに音の入り間違っているし。この頃から次第に調子が悪くなって来てしまった様です。

Earle Warren

Earle WarrenのバンドのサウンドがSweetだと書きました。EarleがAltoを吹いているのですが、あんまり音がSweetなんで楽器はBuescherじゃないか?と思って検索かけたら、確かにBuescher使いだったそうです。1940年代なのでAristocratの様ですが。同じくBessie楽団でAltoだった事もあるTab SmithやEddie BarefieldがBuescher使いだった事はBuescherの広告に載ってましたので、Bessie楽団のAltoはBuecher使いが多かったのかもしれないです。


2006-01-24 音楽

Lester Young and Coleman Hawkins

Lester YougとColeman Hawkinsはよく比較されます。カンサスシティJazzの本でもLester YoungについてHawkinsとの対比で書かれています。大体大味テナーのHawkinsと繊細で緻密なソロイストとしてのLester Youngという対比と一緒に、オールドスタイルのHawkinsと闘って勝った「たくましいテナー」のLester Youngという人物像もあります。この人間像はどう考えても矛盾しているのですよね。実はこの矛盾した記述がこのRoss Russelの本でもされていました。この一般に知られている矛盾した人間像と逸話の元はこの本だったのではないかなと思えてなりません。

Russelの著作は全20章に分かれており、各々の章でミュージシャン、バンド、世情、ラグタイムの歴史に、Bluesの歴史、JamSessionの歴史、等がそれぞれ独立して別個の章に書かれています。別個に書かれているので、年代順に記事を並べて比較すると、どうも矛盾した記述があったりするのですが、この中に有名なLester対Hawkinsのテナーバトルの事も書いてあります。

Russelの著作のズルい処は、流し読みをすると、とある大天才が世の中ひっくり返して次の日から天下を取った「印象を受ける様に」書かれているけれど、本当はそうでなく、細かい処に事実を隠して全体を読みづらくしている点です。細部まできちんと読まないといけません。Russelの著作が原因で世の中に誤解が広がっているいるものと思われます。

時代は1934年初頭、一日だけカンサスに巡業に来たFlecher Henderson楽団のHawkinsがチェリーブロッサムというクラブで地元の腕利きと腕比べのJam Sessionを行いました。Jamが何時くらいから始まったのか、記載されていませんが、朝の4時にリズムセクションがへたばって足らなくなったので手伝ってくれと、当時のピアノ、メアリー・ルー・ウィリアムズが寝ているところを叩き起こされた話しが実際の彼女のインタビューとして書かれています。そこではHawkinsは最後まで吹き続けていたけれど当日に公演があるので朝の早い時間に引き上げたと、あります。この時点でオールドスタイルのテナーの時代が終わってHawkinsは失業してLesterの天下になったかの様に思われている様ですが、当時の話しを良く読むと、2人とも互角だったけれど時間切れでHawkinsは帰ってしまってLesterの優勢勝ちというのが真相の様です。ここでHawkinsが大ハジかいて笑い者になってリタイアしたように思われている様ですが、これまた大ウソ。同1934年、HawkinsがFletcher楽団を一時離れてヨーロッパ遠征している間にHawkinsの代わりにFletcherの楽団に推薦されたて少しの間だけ参加した事があります。ただ、スタイルが違いすぎるのですぐに辞めてカンサスに帰って来てしまったと同じくRusselの本に書いてあります。この記述から判断されるのは当時として新しいスタイルが生まれてその事が認められた、敵対するわけではく存在していたという事でどちらかがどちらかを駆逐したとかいう話しでは全くありません。

RusselはLesterひいきなのでHawkinsを比較してフレーズが断片的だとか垂直的だとか古いスタイルを変えなかったのでダメなのだ、とさかんに主張してLesterを勝ち組に仕立てたい様です。が、この後も両方とも同じく活動して後継者もいて、長く活動したのはHawkinsで先にヘタってしまったのはLesterだし、両者優劣付けられないのが歴史が示す事実です。Modern擁護派なので本当は繊細なアーティストであるLester Youngを時代の変革者「強者Lester」にしておきたい様で、その辺が矛盾した人物像が描かれる理由だと考えられます。そもそも音楽に勝ち負けなど、どうでも良くて、どんなスタイルにも均等に良い悪いがあるだけ、というシンプルなメンタリティを持っていられないのがModern Jazzの批評家やリスナー/プレイヤーらしいですね。


2006-01-25 音楽

Benny Carter Box Vol.2 bennycarter

1936-1940年のBenny Carterです。Vol.1の終わり1936年からCarterはヨーロッパへ遠征していたのでした。この時代はヨーロッパは結構不安定な時期だったのに、よく行っていたな。。。

1936年はイギリスでBBC放送の録音等をやっていた様で、その後コペンハーゲンへ行って、またロンドンに戻ったりします。1937年はオランダで、1938年はフランスで活動しています。大体地元ヨーロッパのMusician と録音しています。イギリスでは最初カルテット、次に3管編成のBigBand、オランダでも地元Musicianを率いてたらしいBigBandで録音を残しています。Altoの他にClaやTpet等も吹いていますね。面白い事に、オランダDen Haggの録音の8人編成のバンドの中にColeman Hawkinsが混じっています。えーこのHawkinsはヨイですよ。CarterのAltoも良く歌っていてこの時期のCarterは個人的に好きです。次のフランスでは同じく8人編成ですが、今度はジャンゴ・ラインハルトが入っています。この録音も貴重かも。スタイルはやや古い感じですがOldなSwingで良い感じです。

1939年にアメリカへ戻って以降New Yorkでの活動に戻ります。全体にヨーロッパでの録音の方がリラックスしていてヨイ感じがします。同じ曲"When Lights Are Low"がLondonとNew Yorkで録音されていますが、スタイルがまったーく違う。London版はスローなバラードでロマンティックに歌い上げていますがNewYorkでは一転アップテンポで豪華にSwingしています。音色も違います。もしかしてヨーロッパのMusicianの技量の差もあるのか?とも考えられますが、個人的にはCarterの音は柔らかいのが本来の音だと思うので、Altoの音色を生かした落ち着いたアレンジでのSwingを聴かせてもらいたいなと思いました。


2006-01-26 音楽

考察:Bluenote

Blutenoteの三度音程は何故低い?は音楽界長年のナゾで、未だに諸説あり結論付けてられていません。以前紹介の書籍ではBluesを旋律的音楽と位置づけていまして、私もBluesは旋律主体の音楽であると考えます。だから、三度、七度、減五度は根拠をメロディの中の相対的な音関係として捉えるべきだと考えます。純正調三度の音程はBluesnoteの参考とは考えないのですが、それではピタゴラス音階が参考になるかというとこれも中々??です。単旋律音楽がピタゴラス音階で演奏されていたと、明言できるのはその国その時代で音階を作る元となる楽器と楽器の構造が記録として残されていて分かる場合に限ります。1900年代、すでにそこにある近代西洋楽器の上で演奏されたBluesのBluenoteがわざわざ鍵盤上に無い音を求めた理由もやはりナゾです。Bluesの成立過程でどんな楽器が元になっていたかも厳密には検証不能なので、こうなるとBluesnoteの起源をアフリカ音楽に遡っていってしまうのもしょうが無いかもしれません。

結局の処「分からん」で終わっちゃうのですが、ここでは音楽の基本に戻って、表現の上で「欲しい音」があって、それがBluenoteだと素直に考えましょう。そして実際の「音」はMa RaineyやBessie Smithの歌の中ですでに提示されている。だからRaineyやBessieの歌を良く聴けばよい。その歌を聴いてエッセンスとしてのBluesを感じ取ればよろしいかと。すべての音源を聴いたわけではないけれど(捜すと後から後から山ほど出て来る)残っているこの2人の様な歌唱法を持った歌はそれ以前には音源として残っていない様です。同時代の他のシンガーの音源も多数残ってはありますが、も少しストレートな歌い方なので、やはりこの2人が一番Bluesのルーツに近い音楽だと判断して良いかと思います。


2006-01-28 音楽

Django Reinhardt django

DjangoがBenny CarterのCDの中に入っていたので聴き直してみました。Djangoはあまりにも有名で、特にいう事はないですね。相方Stepane GrappelliのViolinもSwingしてすばらしい。"HoneySuckle Rose","Night And Day","Japanese Sandman","Tea For Two"、など。なじみの曲が入っています。録音は1938-1940、Pariです。Djangoは戦争中もずっとフランスで活動していたのだっけ。。。1940年のLes Yeux Noirs(黒い瞳ですね)がこれまたステキ。Djangoのファンなら誰でも知っていると思います。この時代にしてはえらくコンテンポラリな事をやっていますが、それがまた自然に歌っているのがすばらしい。クラリネットの"Hubert Rostaing"という人がまた良いのですが、あんまり音源は残ってない様です。

ところでJazzにこの曲が使われたのが1940年とは意外に古いのでしたね。(知らなかった)では、この曲の音源の一番古いのは誰だ?Djangoか?と思ってallmusicで調べたら"Joe Venuti"というJazz Violnの人が1934年に入れたのが一番古いという検索結果が出ました。CDは見つからないのですが、DjangoはVenutiの影響を受けた、と www.redhotjazz.com には書いてあります。Djangoは1910年生まれですので、Eddie Langと比べても少し若かったのかぁ・・・・このCDはVol.2なのでもっと前のも聴いてみたくなりました。


2006-01-30 音楽

Tram Vol.1 tram1

Lester Youngが手本としたFrankie Trumbauerの録音。このCDには23曲納められていますが、大体がC-Melody-Saxによる演奏。1923年から1929年で、1923年は1曲、1924年2曲、1925年4曲、1926年が無くて、1927年2曲、1928年5曲、1929年9曲。このシリーズはVol.3までありますが、Tramの活動はもっと広範囲に渡っているので1928年以前の録音があまり入ってない理由がやや不明です。ジャケットの写真はかなり若い頃だと思います。写真の楽器はコントラバスSaxですね。

1929年の5/15までの演奏は自分のバンドではなく他のレギュラーの頃のRed NicholesやPaul Whitemanなどのバンドで入っています。

面白いところで2、3曲目は1925年録音で、Eddie CondonのバンドでComb Kazooやってたレッドマッケンジーが普通のKazooと二重奏(!)でやっているバンド。他にはBanjoの計4人編成。これは本当に冗談みたいな録音。この頃から変な事やっていたのですね。それにしても顔広い人です、マッケンジーは。

1927年はRed Nicholes Stompersで入っています。ここではC-Melody ではなくAltoの様です。他にGlen Miller:Tb,Pee Wee Russell:Cla 等がメンバーに入っています。

1927年〜1929年はPaul Whitemanの楽団です。この楽団、人数多い。。。リードセクションが8人いて音からClaとFluteが持ち替えでなく単独で演奏している様です。CornetにBix,SaxにJimmy Doreyなどもいます。他にBassとTubaが別に入っていて、ストリングも4人、と随分と贅沢な楽団です。音楽は超Sweetで、Whitenmanは主にラジオ放送で稼いだ人です。音楽は古ーいMusicalの伴奏みたいな感じでしょうか。まあ、B級Jazzモドキと揶揄される所以でもあります。ソロはあまりありません。このCDではこれ以前までの録音の方がウン十倍もJazzしてます。

この後1929年にTrankie Trumbauer OrchestraとなってようやくJazzらしくなって上品なSwingという感じなってます。この頃の編成で興味深いのは Violinが入っていて、ジャンゴに影響を与えたと言われるJoe Venutiが、GtにEddie Langが入っていますね。Tramのソロは少ししか入ってないのですが、ところどころでコンテンポラリなフレーズが聴けます。

Trumbauerは1920年代もっと沢山の録音残しています。このシリーズがどういうコンセプトで選曲されたのか不明なのですが、同年代の音源についてはまた後程。


2006-01-31 音楽

ゼロ・ビートの再発見 zero

復刻版入手しました。音楽やる人、特に鍵盤やる人は読まなきゃならんです。とりあえず読んで理解してからどうするか考えましょう。知らないで音楽やっているのはエセ、と言って言えなくもない。

純粋な平均律の楽器というのは19世紀の終わりくらいから徐々に普及して行ったもので、それまでは様々な音律による鍵盤楽器があって、音楽はその音律/調律による響きを前提に作られていたものです。

バッハの時代から今の平均律が使われる様になったというのは大大大間違いで、バッハの時代あたりからヴェルクマイスターという調律法が使われる様になり、それが平均律と勘違いされて、その間違いがいまだに続いていると書かれています。勘違いは物理学者のヘルムホルツ(音楽屋の間でも超有名。知っている人多いでしょう)の著作での間違った記述がそのまま信じられ続けているというのが事実です。

ヴエルクマイスターはその後いくつかのバリエーションを経て、まあ今の純粋平均律に近づくわけですが完全に平均律のピアノが生産され始めたのは1842年からだそうでフランスから生産が始まり世界的に普及するのは20世紀に入ってからだそうです。純粋平均律はフランス→ドイツ→イギリス→アメリカの順に次第に広まっていった様です。

だとしますとコードネームが発明された頃でもまだヴェルクマイスター系の調律は使われていたと考えられるわけです。例えば同じmajorでもC-majorとE-majorとでは当時は響きが違っていて、その響きの違いで音楽が作られていたと考えられる事です。おそらくテンションコード等もかなり響きが違っていたのではないか、と考えられます。参考URL こちら。  かのバークリーメソッドも純粋平均律がバッハの時代から使われている事を前提に体系作られているそうですから、実はバークリーメソッドは根本から間違っていると言えなくもないです。

クドクドと調律の話しをしていますが、ためすけは10年以上前に雑誌の連載でYamaha-FM音源チップを使った音源ボードを自作してピッチをコントロールして色々な調律法を試した事があります。実際に実験してきれいな和音もピタゴラスのスケール/和音も響きを確かめ記事にもしました。音を聴くと本当に!響きが違う。世界が違うのです。こればかりはシンセサイザ等で実際に音を耳にしないと分からない世界ですが、だからこそクドクドこだわっているわけです。→ご案内


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